寂地山(じゃくじさん)額々山(がくがくやま)河津越(かわづごし)
 
単独 2010.04.29 
寂地峡Ⓟ(6:59)→赤禿林道入口(7:28)→林道終点(7:43)→冠山登山道(8:43)→冠山分岐(9:03)→寂地山(9:37)→東よけ岩(9:52)→ガクガク石(10:13)→西よけ岩(11:20/25)→後谷山(12:01)→河津地区(13:16/39)→ヤブガ峠取付(13:54)→ヤブガ峠(14:50)→木目の滝(15:25)→寂地峡Ⓟ(15:58)
アルバム

寂地峡Ⓟ(6:59)

河内神社(7:22)
先週に続いての分水嶺歩き。寂地山の東尾根(西大沼ヶ原)から北に分かれて、ガクガク尾根を河津越まで繋いだ。出発点は寂地峡Ⓟから。早いので閑散としているが、あと1時間もすれば、カタクリの花見登山客で、ごった返すに違いない。寂地山は、今やカタクリ自生地の名所になっており、毎年、遠来のツアー客で賑わう。ちなみに、写真中央のバスは京都ナンバーである。寂地山登山口バス停の上の宇佐川左岸に河内神社がある。河内神社の祭神は、水神・竜神の罔象女神(みつはのめのかみ)で、全国何処にも多い。「日本書紀の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(はにやまひめのかみ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(かぐつち)の間に稚産霊(わくむすび)が生まれたとしている。神名の「ミヅハ」は「水走」と解して灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。(Wikipedia)」
 

赤禿林道入口(7:28)

オオ谷のワサビ田(7:47)
寂地峡Ⓟから宇佐川右岸の道を30分ばかり行くと、冠山トンネルの所で林道が左に分かれている。入口に満州菩提樹群生地の看板がある。林道は本流オオ谷の半ばまで上がっており、途中でスナジ谷、ジャノウツ谷、左谷が出合っている。満州菩提樹はジャノウツ谷にあるらしく、出合からはよく分からなかった。林道終点から5分ばかり上がった所に、ワサビ田が開かれていた。そこからしばらくは、谷沿いに踏跡があるが、やがて途切れ途切れとなって消失した。源流域が歩きにくくなったので、我慢できず、右の枝尾根に逃げた。左の尾根に取付けば、寺床分岐に至る稜線径に上れたものを・・・。
 

冠山登山道(8:43)

アシウスギの根元に残る雪(9:12)
若い闊葉樹とゴーロの急斜面を、木登りで枝尾根に上る。尾根近くなると、ヒノキ林になって歩き易くなる。間もなく、寺床手前の登山道に出た。ゴールデンウイークというのに、やたら寒い。カタクリもこれには敵わないらしく、花弁を固く閉じている。西大沼ヶ原までやって来ると、アシウスギの根元に薄っすらと雪が積もっていた。うーむ。
   

寂地山山頂(9:37)

東よけ岩(9:49)
ちょこっと寂地山に寄り道をして、額々尾根に向かう。「寂地山の名前の由来は、石神(いしがみ、しゃくじん、しゃくじ)、寂滅(じゃくめつ)などの仏教用語説が主流となっている。外に宇佐の伝説に出てくる寂仙坊の為に村人が寺床に建てた寺「寂林院」を「寂寺」と書いて、「じゃくじ」と読む、と云うのもある。寺床から少し離れているが、これが良いように思う。西中国山地(桑原良敏)」「寂地山の北に1279m峰の東よけ岩がある。熊がよけて通る岩という意だと教えられたが熊だけではなさそうだ。この懸崖が〈ヨケ岩〉という呼称であることは『防長地下上申』宇佐郷村絵図にも記されている。西中国山地(桑原良敏)
   

ガクガク石(10:13)

西よけ岩(11:17)
2万5千分の1図には東よけ岩のある1279m峰に「額々山」の山名が記されているが、「ガクガク石」は西に900mばかり行った、1227m独標峰の先にある。桑原先生は「1227m独標峰に額々山の山名を付すべきだと思うがどうしたものだろう」と、言われている。このガクガク石、上に乗ってもピクリとも動かない。額々山の西尾根にもう一つ〈よけ岩〉がある。ノブガ谷と二の谷の突き上げにあり、この岩は懸崖ではなく岩塔になって、上は素敵な展望台である。
   

後谷山山頂(12:01)

河津越(12:49)
西よけ岩からガクガク尾根を西にたどること20分、笹の中に937.5mの三等三角点の標石があった。後谷山である。ここから、つい南の尾根を降ってしまったが、分水嶺は西の急尾根に続いている。後谷山からは、ムカン谷を左下に見て、笹の茂る尾根を昇降する。あまり踏まれておらず、後谷山から50分を要す。河津越はかつて三葛と河津の往還径だったはずであるが、ササに埋もれて、荒れている。
   

河津集落(13:16) 

藪ヶ峠取付(13:54)
河津越からは荒れた峠径を左に下る。スギの植林地を抜けるとワサビ畑が開けて、吉賀霊場番外札所と記されたお堂の裏手に出た。河津集落である。道路はこの先の民家の前で、そーっと終わっている。誇り高き「木地師」の里で、心地の良い昼食にする。深谷川右岸の道路を下って行くと、集落の外れに橋が架かっている。これを渡って150mばかり下ると、藪ヶ峠への径が左に上っている。
   

藪ヶ谷出合の神社(13:55) 

藪ヶ峠(14:50)
藪ヶ峠分岐の50m先にある「宕」客社の拝殿が倒壊していた。なかなか趣のある建物であったが、残念なことである。「愛宕神社は、火の神、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と伊耶那岐命を祀る。江戸中期に全国に修験道と共に広まったという。ところが、注進案には、河津には客社があり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が祀られていると書いてある。農業神だ。金山谷河内神社の話と同じ・・・(ぼっちさんの放浪記より)取付から50分余りで、藪ヶ峠に上る。この旧道、以前は少々荒れていたが、刈り払われてよく整備されている。この後、寂地峡Ⓟに帰り着いてみると、案の定、花見の登山者で大変な賑わいであった。
 

寂地山南西尾根と小五郎山 西よけ岩より(11:21)
出会った草花   
カタクリ(片栗) ユリ科  エンレイソウ(延齢草) ユリ科 ニリンソウ(二輪草) キンポウゲ科
     



軌跡図 
                                                   所要時間:9時間01分、歩行距離:23.4㎞