中倉山(なかくらやま)八世以山(やせいざん)
 
単独 2016.01.04 
JR瀬野駅(6:55/7:02)→中倉神社(7:20/26)→ツツジ群生地(8:16)→新広島連絡線鉄塔27(8:33)→中倉山(8:45/9:04)→東中倉山・鉄塔26(9:11)→鉄塔25(9:21)→伏附峠(9:31)→八世以山(9:42)→新広島連絡線鉄塔23(10:06)→468m峰(10:21)→JR瀬野八本松線鉄塔10(11:18)→R2(11:57)→黒瀬幹線鉄塔19(12:51)→423m峰(13:08)→大山峠(13:42)→旧山陽道入口(13:58)→JR八本松駅(14:26)
 
呉娑々宇山から長者山を歩いてみて、この際、瀬野川を挟んで連なる境界尾根を辿ってみようと思った。で、榎山峠(えのやまとうげ)の続きは、中倉山から。JR瀬野駅北口を東に行き、榎ノ山川沿いの里道から県道33号線に出て、中倉神社参道に取り付く。急な石段を上ると、手入れの行き届いた拝殿があった。祭神は品陀和気(ホムダワケ)神・帯中津日子(タラシナカツヒコ)神・息長帯比売(オキナガタラシヒメ)神・姫大神で、康元元年(1256)の創立と云う。登山口は神社の東側にあった。「せの七山(立石山、長者山、中倉山、八世以山、水ヶ丸山、坂山、丸山)」の解説とルートマップが掲示されている。市民憩いの山として親しまれているようだ。明るい落ち葉絨毯の尾根道を上ること50分、ツツジ群生地に着いた。あたりは展望地になって八世以山などが眺められる。さらに500m計り登ると、送電線鉄塔(新広島連絡線鉄塔27)があって、長者山の稜線がよく見える。程なく514m峰の頂稜に上がる。山頂標識には、東中倉山と記されている。山頂標識横の丸い凹地の中央に円形のコンクリート台座がある。探照灯の跡に違いない。あたりを調べてみると、聴音機跡、指揮所建屋、兵舎跡などなど、旧軍遺構にめぐり会う。びっくりぽんである。山を歩いていると旧軍遺構にはよく遭遇するが、これだけのものは笠戸島以来だ。北尾根に榎山峠への道が下っている。それにしても、西中倉山が見当たらない。急な南東尾根の道を下り、広島連絡線鉄塔26、25のピークを越えて伏附峠(ふいつくだお)という峠に出た。あとで、旧軍遺構は呉海軍警備隊中野村聴音探照所(特設見張所)の跡、そして、514m峰が中倉山(奥屋では海軍山または大谷山)、鉄塔26のピークが東中倉山、鉄塔25のピークが三本山であることを知り、納得する。また、伏附峠の名は、瀬野側が這いつくばるほど急なことに由来するらしい。ひと登りして八世以山に上がる。山頂は平坦な裸地になっているが、雑木に囲まれて展望はない。ちなみに、奥屋では八世以山を「やよいやま」と呼んでいる。南尾根の道を捨て、北東の県境尾根に下る。取付に道はないが、程なく送電線管理道に合流する。新広島連絡線鉄塔23、22を経て468m峰に上がる。ここから南に転じた境界尾根は、荒れた切り分け径になって見どころはない。アップダウンを繰り返しながら高度を下げて、ようやく国道2号線に出る。468m峰から1時間35分、想定外の所要時間だ。NIPPO瀬野川工場の手前で向かいの尾根に取り付く。尾根には切り分け径があり、黒瀬幹線鉄塔19から423m峰南東ピークまでは地籍調査杭の立つきれいな道になる。途中で昼食。423m峰南東ピーク西尾根の踏跡を少し下って、南斜面に突っ込む。難なく大山峠に降りたが、もはや13時42分。曽場ヶ城山まで行くという当初の予定は、即却下。旧山陽道(西国街道)をJR八本松駅に向かった。
アルバム

JR瀬野駅(7:01)

中倉神社(7:23)

ツツジ群生地(8:16)

長者山 新広島連絡線鉄塔27より(8:37)

中倉山(海軍山)山頂の探照灯跡(8:47)

中野村聴音探照所指揮所跡(8:51)

伏附峠(9:31) 

八世以山山頂(9:48)

468m峰山頂(10:21)

NIPPO瀬野川工場の南側(R2)()

423m峰山頂(13:08)

曾場ヶ城山 423m峰南西稜より(13:23)
 

423m峰南西稜の大山峠取付(13:36)

大山峠(13:42)
 
 
旧山陽道(西国街道)入口(13:58)

曾場ヶ城山 JR八本松駅より(14:25)



軌跡図
                                                   所要時間:7時間25分、歩行距離:15.6㎞ 
 この地図は、国土地理院発行の地形図を使用したものである。